ベル・ばら・つれづれ日記

主にベルばら関連。

怖い絵展の興味をもっと深掘りして

久しぶりにPC触っているので、調子に乗ってまた記事を書くことに。

先々週怖い絵展が終了しました。
行ってきた人も多いのでは?
私もその中の1人で、怖い絵展のメインであるジェーン・グレイの処刑シーンは
圧倒的な大きさと絵にまつわる裏話から、何かが取憑いているかのような気がして目が離せなかった。
友人は、その絵の1シーンから処刑人や倒れている侍女の気持ちを考えていたらしく、
右脳が働いているというか、その絵からイメージを膨らませていくタイプなんだろうなと。
女性的なんだろうなと思った。

f:id:velrose:20171225142622j:plain
ウィキペディアより>


私は、その絵1部分よりもその背景にある歴史や物語を考えてしまう。
ジェーンはあの有名な女好きのヘンリー8世の親戚(いろいろ複雑なので関係は割愛)であり、
ヘンリー8世の最期の奥さん・キャサリン・パーに引き取られた。
恐らくそれが良くなかった。
キャサリン自身はとても良い人だったらしく、王の娘でありながら不遇な少女だったエリザべス1世もこの継母には懐いていたらしい。
だがそのエリザベスが、キャサリンの再婚相手・トマス・シーモアと不倫。
怒ったキャサリンはエリザベスを追い出してしまう。
その後、出産でキャサリンが亡くなると、葬儀を執り行ったのはジェーンだった。
トマス・シーモアは兄弟間の争いで処刑されてしまうのだが、その前にジェーンを王座に就けるべく画策していた。
次に出てきたジョン・ダドリーが、ジェーンを利用して息子のギルフォードと結婚させ、エドワード6世が亡くなると即位させた。
どうもトマス・シーモアといいジョン・ダドリーといい、野心家の割に知恵が働かなかったらしく、
彼らがもう少し知恵の働く人間であれば自分たちの命も、ジェーンの命も永くもったのかも知れない。
ジェーンはその後わずか9日間で王位を降ろされ、幽閉され、16歳で処刑されたのがあの絵のシーンだ。
ジェーンを倒し王座に就いたのはヘンリー8世の娘・メアリー1世。
ブラッディ・メアリーの語源になったほど血を流した、というイメージの女王。
プロテスタントを弾圧したことでも有名。
ジェーンと夫のギルフォードを幽閉し、挙句処刑したことも批判を浴びた。
が、これにはジェーンの父が反乱軍に加わっていたため仕方なく処刑したという説明もある。
そのメアリーは即位から5年後、卵巣嚢腫で亡くなっている。

本当に恐ろしいのは、ジェーンの死だけでなく、処刑が当たり前のように行われていた時代。
ヘンリー8世の妻だったアン・ブーリンエリザベス1世の母だが、その彼女と結婚するために
ヘンリー8世カトリックから離脱、新教のプロテスタントを作ったのだ。
でもそのアンが邪魔になると、今度はアンを処刑してしまう。
メアリー1世とエリザベス1世は異母兄弟だが仲が悪く、メアリーは死ぬ間際に仕方なくエリザベスを次の王として任命。
エリザベスは従姉妹のスコットランド女王・メアリー・ステュアートを処刑している。

この頃から約2世紀経ち、フランス革命ー恐怖政治へ。
処刑方法は斬首からギロチンへ。
ルイ16世も、アントワネットも、エリザベート内親王も、
ベルナールのモデルになったカミーユ・デムーランとその妻も、
ロベスピエールの親友だったはずのダントンも、
ロベスピエールサン・ジュストも、みんなギロチンにかけられた。

絵は、その時々の歴史を物語っている。
その場面だけでなく、背景にあるものを追って行くと本当の恐ろしさが見えてくる。